017: 尺八とは、隠語じゃないか

尺八って、オーラルS●Xの隠語ですよね。それって、恥ずかしくありません?

あーあ、誰もがわかっちゃいるけどだーれも口に出さない、暗黙のタブーにメスを入れてしまう、この無謀さ。

触れずにしらんぷりしてれば済むのに、わざわざ波風立てることないのに、他もろもろのご批判は重々承知の上、ぼちぼち、いってみますか。

近年の顕著な傾向として、女性の尺八プレイヤーが増加しています。

そう、キーワードは、女性です。女性の集まるところに男性も集まるということはつまり全員が集まる。尺八がメジャーな音楽シーンを席巻するためには、女性が活発に尺八を吹いていなければ、絶対にならんのです。

ところが、女性が尺八を吹く上で、この隠語との対峙が、存在します。

筆者も、「尺八やってます」と言うと、初対面でも結構な確率で笑われます。ぐーでぱんちしたろか、と思うことも稀ではありません。きっと悪意はないと思うので(そう思うことにしてます)、殴ったことは、まだありませんが。

まあ、世間なんて、所詮そんなものです。筆者は男性なので、この程度で済みますが、これが女性の場合のことを考えると、くやしくて涙が出てきます。

直接の解決策は、ありません。世間の口に戸することはできません。

但し、現在、尺八界もかつてないパラダイムシフト(価値観の転換)を迎えています。

尺八という楽器は、長い歴史の中で培った強固な殻を持ち「伝統」を守ろうとしていますが、多様で強烈で絶え間ない外からの圧力に耐え切れず、変容の一途をたどっています。

隠語に関しても、全く同じことが言えます。隠語もそれはそれで一つの文化として強固な殻を持ちますが、外圧により変容させることは可能です。

そう、言葉は使う人間のイメージです。「金閣寺」の呼称を鹿苑寺自らが公認し、「ここは鹿苑寺金閣です、金閣寺ではありません」の立て看板を全て撤去したように、「的を得る」という表現が世間一般の勘違いから「的を射る」よりもメジャーになってしまったように、言葉の意味・使われ方の決定は多数決によるところが強くあります。

尺八の隠語を少数派にするためには、みんなが積極的に尺八を吹き、楽器としての言葉の一意性を確立する必要があります。そのためには尺八の面白さ、素晴らしさを余すところなく公開し伝授し伝播させ、誰もが納得して面白がって欲求にかられて誇りをもって、尺八を吹ける環境を作り上げていくことが急務です。

その第一歩を、「まずは、尺八の音を、きいてもらおう」とするのは、多くの方々の考えと一致するところでもあります。

戦わなければならない戦いというものが、あります。

女性の尺八奏者の方々は周囲にただおびえるのでなく、尺八の素晴らしいところを整然と論述できる理論武装をもち、ひやかしを返り討ちに葬るだけの自信としましょう。

男性の尺八奏者の方々は女性の警戒心を逆なですることなく、自分の吹いている楽器の素晴らしさを雄弁に語れるだけの吹奏技量と知識、周囲に対して圧倒的な影響力を及ぼすに足る、こだわりを貫き通す燃えるハートを持ちましょう。

 

以上、半分怒りにまかせてぶちまけてみました。

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Comments

“017: 尺八とは、隠語じゃないか” への1件のコメント

  1. 牧野行雄のアバター
    牧野行雄

    最近、友人から紹介され 拝読しとります。
    今回は、いつにも増して熱が入ってますが、全く同感です。私も若い頃はいちいち怒ってました。
    山口五郎さんは、晩年 女性尺八奏者が、ばらばらになった尺八流派をつなぐ重要な役割を果たすだろうと予言されてます。