003: 古典がつまらない

六段、八千代獅子といった古典を頑張って練習していますが、どうしても、面白いとは思えません。

古典(地歌箏曲)の面白さを一言で表現すれば、それは旅です。

一曲の中に、旅立ちがあり、スペクタクルなロマンとチャレンジがあり、哀愁と感動があり、そしてゴールがあります。

旅の歩みを進めるのは自分自身です。つまりそれは一つの世界を自分の力で作り上げていく行為でもあります。

思えば遠くにきたもんだ、ゴールを迎えたときの達成感は、なんともいえません。

と、いうのが、筆者の現時点での、率直な解釈です。

 

但し、古典という音楽は、尺八演奏難易度的には、最高クラスです。

その理由は、
休拍がほとんどなく(旋律単位での息継ぎ→演奏→息継ぎが切れ目なく10分以上も延々続く)体力的に相当な熟練が必須であること。

スローペースな部分では一音の持続要求時間が非常識なほどに長いこと。

アップテンポな部分では特にメリ音を含む音移りが至難であること。

そもそもテンポの緩急を経験則のみに頼っていること、など。

以上は技術的な話ですが、芸術的な観点からすると、現代人の価値観は、古典の陰旋律のフレーズに対して絶望的に不慣れであり、それを楽譜から受け止めて感じ込み、自己の旋律として歌い上げるという能力が不足がちです。

つまり要するに、「吹いててつまんない」と思わせる要素が満載なのです。

古典がつまらないのは、あなたの尺八演奏能力・古典解釈能力が要求されるレベルに達していないから、の可能性があります。

そんな厄介な条件付きの音楽なんて、音楽と呼べない気もしますが、深みにはまれば一生抜け出せない世界であることも事実です。

江戸・明治の音楽の鉄人たちが生涯を賭して練り上げた珠玉の名作を堪能する贅沢が、待っています。

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